古典の臨書_備考

西原清繁臨書選集

 

  • はじめに

 この臨書選集を出すにあたり、この提案をして下さったのは、(財)独立書人団会員の

國分渓雪氏であった。提案の動機は、國分氏と私の師匠であった上松一條先生の古典研究の書業を残そうという目的からであった。そして私の臨書も編集して下さることになった。

 書はその宿命として紙に書いている以上、遺失し易い芸術と言える。近代に入り、展覧会や個展を開催し、作品集が沢山刊行されている。しかし、それとても処分の対象となっている。残念ながら作品とても同様で、ファンの方が求めて下さっても代替わりをすると所在不明になっているのが現状である。然らば、如何なる形で今日残っているのかというと、国公立・私立の博物館や美術館等に収蔵された作品である。それ以外にはこれと云った手当てが無いのが現状ではなかろうか。

 そこで國分氏は、古典臨書をデータ化し、PCに残せばいつでも観ることが可能であり、普遍性があると考えられたのだ。今回のデータは、

     上松一條臨書

     國分渓雪臨書

     西原清繁臨書

の三部から成っている。

 

 

  • 古典採択について
  • 本編は大きく、中国編と日本編から成っている。
  • 各編の古典は歴史上の第一級の古典と新出土や新資料の双方が混在している。
  • 本編は六朝時代の古典が多いが、私は常に古典勉強を対比的に習うことが効果的であると考え、法帖選択をした。行草体に対比すると漢時代の隷所体や六朝時代の造像記や墓誌銘が対比に置かれる。左様な理由で結果多くなったのである。
  • 本編の資料提供をして下さった方々は主に私と通信稽古をしていた方々のお手本を底本にし、私の手元にある臨書を加えて編集した。
  • 通常の稽古ではその時事に対応して参考手本を書いているが故に、通観した場合は一貫していないことがあるので、採用を避けた。
  • 尚、第一級の古典臨書資料は「手島右卿」先生の刊行本が彼方此方から出ている。是非閲覧され、習ってみて頂きたい。

 

 

  • 最後に

私は、現代を理解しようとすれば、歴史を深く掘り下げなくては理解出来ないと考え ている。古典の臨書の意義は単に技術の習得のみでなく、その書かれた背景にある全て の因果律を解明し、古典の命を掴み出すことだと考えている。

  最後にこの企画は國分氏の多大な労力と時間によって成り立って出来たものである。

  この紙面を借りて厚くお礼を申し上げたい。

 

  • 備考
    • 掲載の臨書はコピーすると半紙の皺を忠実に読み取ってくれる。すると影が生じ、それを國分氏は巧みにPCで修正して下さった。が、如何せん薄い青色の状態で残ってしまった。
    • 又、臨書に使用した半紙は甲州漉きである。薄手の良質な半紙である。しかし、それ故に墨の濃淡によって若干のバリ(突起状)が基線の外に出ている。半紙を見ている上では気にならないが、コピーは忠実に再現してしまった。
    • 私は右の影とバリを有る段階から修正をして國分氏にお渡しをした。古典によっては若干、基線付近の所に濃淡があるのはそのような理由からである。しかし、臨書したものを修正したものではないことを記しておく。
    • 尚、コピーはA4サイズの用紙でして下さい。

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